鑑賞した日付:2018年5月4日頃
アニメ「けものフレンズ」  作者:たつき
★★★★★
総合点:110点/100点

とにかく世界観が素晴らしい。基本的には幼児向けの可愛いアニメかと思いきや、意外と深い内容が隠されていてそれが良かった。それでいて、幼児向けのアニメの様なほのぼの感は絶対に失わず、安心し見てていられる良さもある。

色々な動物を擬人化したようなキャラクターが沢山出てくるという設定も素晴らしい。
これなら動物好きは勿論、そうで無い人にもウケるし分かりやすいと思うし、そしてなりよりアイデアとしてありそうで無かった良い空間を築けていると思う。動物の数だけ話も作りやすいだろうし。
まさに楽園、パラダイスを垣間見ることが出来るというか、とにかく、色々な動物が苦しみや悲しみも苦労も無く、平和に穏やかに暮らせている世界、理想郷を感じさせてくれるところが良い。
人間の言葉を手話で話せるゴリラのココの言う所の「苦労の無い穴」である。

絵柄や、その幼児向けみたいなアニメの雰囲気で大の大人が見る様なものでは無いように思われがちだが、結局蓋を開けてみれば大人のファンが多く出来て社会現象にまでなった作品であったことと思う。
食わず嫌いの先入観で見ない人が多いと思うが、見ればこのアニメの良さが直ぐに分かると思う。
とにかく糞汚い人間がいなくなった楽園で暮らす「フレンズ」たちの様子に癒される。

2019-某日・追記
結局、皮肉にも後々このシリーズは糞汚い大人の事情で監督が降板したり主人公の「かばんちゃん」を出せなくなったりした様だが、そこに至るまでは本当に夢の様に良い作品だった。
シーズン2はもう知らん(怒)。チェックして批評している奴が多い様だが、それでは運営の思うツボである。チェックすらせず、完全無視することがこの件に関する抗議になると思う。
「『愛』の対義語は憎しみではなく『無関心』」と、マザー・テレサも言っているように…。

しかし、こうして大問題が起こった後から考えてみると、
このけものフレンズのファーストシーズンにも悪い部分が無いわけでは無い。
例えば全体的に、やはりCGは荒い。例えばサーバルのスカートが部分的に透けて、足の一部がポリゴンのスカートの外に出てしまっている箇所もあった。あと、最後にラッキーさんを浜辺で探す際にボスがリカオンをガン無視して近づいて来るところとか、(ボスがリカオンを無視するのは設定的にまだ良いが…。)もう少し何とかならんかったのかと思った。つまり荒い。更に細かいところで言えば、アミメキリンは「さばんなちほー」の生き物なのだろうから、サーバルの事を知らないという設定よりも、旅行好きで「ろっじ」に来ているという設定にした方が良いと思う。

そして、この作品だけで見れば確かに良いものなのだが、セカンドシーズン、つまり「ごこくちほう」の方へ話をつなげるには無理がある設定。(リョコウバトの存在とかどうすんの?っていう。あと、ボスが喋る度に初出のフレンズはそれに驚かなければならないとか)それは、前作というか、ゲーム版けものフレンズの内容を全く踏襲しておらず、好き勝手に作ってしまっているが為という事が近因になっていると思う。
例えば、前作(ゲーム版)のカラカルの存在や、その他のフレンズたちが皆でミライさん等人間達と共闘していたことなどが繋がら無さ過ぎる。(ほんの少しだけ、それに関するシーンはあるが…。)

そう考えると、元々そのゲーム版を“無かったこと”としたのはたつき監督で、シーズン2以降でシーズン1は“無かったこと”にされている様だが、このケンカで先に手を出したのはたつき監督の方と言えなくもない。それにしても降板騒動やシーズン2は酷いと思うが。

もしかしたらたつき監督は、制作陣内部でそういうところが嫌われたのかもしれない。違うと思うけど。
他人の作品を監督する場合の仕事の仕方として、他者のモノを自分の土俵に引き込みすぎているのではないか?という風にも思ったということ。


:ネタバレ:
ラストの全員集合シーンはアニメ史に残るくらいの鳥肌シーン。何故か超泣ける。
ただ、出来ればインド象とかオカピとかフォッサとかミナミコアリクイなんかも絵だけでも登場させてほしかったかな。

かばんちゃんがセルリアンに飲み込まれてから更に復活した時、タイツと手が肌色になっている理由について、また、それが時間の経過とともに再度黒くなりだしていることについて、色々と考察している人がいる様だが、理由の一つとして、単純に服が溶けて素っポンポン!に描くわけにはいかないから…というのもあるような気がする…w。だってアードウルフなんかは完全に“素”の動物になっていたわけだし…。
まあ要するに、「服」というモノの設定が曖昧になっているのがいけないのだ。