涼宮ハルヒの憂鬱 文庫 1-11巻セット (角川スニーカー文庫 )
谷川 流
角川書店(角川グループパブリッシング)
2011-06-15


鑑賞した日付:2016年11月30日
「涼宮ハルヒの憂鬱&消失(アニメ)」  作者:谷川流
★★★★★
総合点:171点/100点

やっと相場の研究にメドが立って、観てみた作品。その経緯はコチラに書いた。

僕が今まで観てきた全ての創作作品の中でもナンバー1の作品。
原作のラノベは読んでいないけれど、原作コミックも全て読んだので、佐々木とか周防九曜とかの事も知っているし、それらも含めて素晴らしいと思った。

一般に、こういう所謂萌え絵の「オタクのアニメ」とされているようなものを始めて、今更ながら見てみたが、なるほど人気が出た作品だけあって非常に素晴らしいと思ったし、これによって僕はこういう(「オタクのアニメ」とされている様な)作品にも先入観なくハマっていくキッカケにもなった作品。
僕の中ではそういう、いろんな意味があるアニメとなった。

ライトノベルとして最初に刊行されたのが2003年とのことなので、そんな昔からこれだけ深い内容のアニメが出ていたことに驚いたのと、だとしたら逆に、現在のアニメ界において、ジブリの作品などが如何に時代遅れで“クセ”が強いものなのかがよく分かった。
また、これを見終わってからほぼ同時期に、スピンオフ作品である「長門有希ちゃんの消失」や「涼宮ハルヒちゃんの憂鬱」も見ている。これらもそれなりに良かった。

僕はこのアニメを見たことによって、その後アニメというモノの素晴らしさ、凄さに感化され探求するようになった。アニメというモノは非常に高い「文化」であり「カルチャー」だと思った。なんだか「チカラこそパワー」みたいな変な言い回しになっているが、そういう、おかしな言い回しで強調したくなるような素晴らしさがあるw。
それまで、アニメというモノは「オタクの物…」という、僕もそういう一般的な認識でいたが、それがこの作品を観て変わった。そう、アニメというモノは非常に文化的で哲学的なものなのだと、この作品で知った…  …などと、トートロジーを用いて誤魔化す気はない。ないが、それでも本当に知性をくすぐられる気持ち良さの様なモノをこの作品を通して知ったのだった。

クーロンズゲートを作った木村央志氏は著書の中で、「ゲーム業界にはバイオ以前とバイオ以降という言葉がある…」と言っていた。つまり、それほどバイオハザードというゲームは全ての価値観を変えるほどのエポックメイキングな作品であったということだ。が、アニメ業界では「ハルヒ以前とハルヒ以降」という言葉があってもいいと思う。それくらい、この作品の後の作品は影響されていると思う。(ハルヒシリーズも「エヴァ」や「うる星やつら」に強く影響されているが)

全体的に、オタク的要素、オタク的様式美をすべて詰め込んだ作品で、例えば主人公の「キョン」の語り口などは典型的なオタク系のセリフでちょっとだけ馴染めないところがあるが、そういうオタク的な部分に目をつぶればやはり良作。

自分はオタク的な物に未だ少しアレルギーがあるが、この作品などは初めからオタクにウケたオタク的な作品だと分かっていながら鑑賞しているので、その辺は致し方ないだろうし、それほど気にせず鑑賞できた。
それから、有名な「エンドレスエイト事件」のことなど、僕の場合は今更見ているので、そういうことも知っていて見たのでその辺については良かったと思う。リアルタイムで見ていたら確かにこれは許せないことだったと思う。

ちょっとリアルに考え出すと怖くなってしまうくらいのパラレルワールド系作品。それが素晴らしかった。
これぞまさに食わず嫌いだったというべきで、上述の通り、これを見ちゃったらオタク確定!みたいな雰囲気が多くの人を食わず嫌いにしているのだと思う。バナナマンの設楽もラジオでそう言っていました。

なるほど誰しも一度は見ておくべき作品です。


大体、タイトルになっている人物が実は主人公ではない、一概に主人公とは言えない…という作品は大抵名作だなという気もする。
2019/08/22加筆(魔法少女まどかマギカなど)これは大げさに言えば小説や劇作におけるテクニックの1つ「燻製ニシンの虚偽」というものに相当するのかもしれない。
本作品の主人公は「涼宮ハルヒ」と言えばそれもそうなのだが、基本的には「キョン」が主人公というか語り部で、この「キョン」が、“エエカッコしい”というか、自分の中で理論的な筋道が通らないと物事を認めないという偏屈な性格をしていたり、そもそも自分自身が涼宮ハルヒの事を好いている…、また、ハルヒに好かれている…ということに対して必死で目を背けようとしている点などから、これは小説における叙述トリックの一つ、「信頼できない語り手」に属すお話で、原作の方も含め、幾つか重要な哲学的な思考について、キョンは読者をミスリードしている部分も多分にあると思う。だとすれば、実は長門や古泉が狂言回し的な役割をしているのだとも言える。
『「キョン」がそう思うんならそうなんだろう・・・』と、キョンの重要な勘違いを読者はサラッと読み飛ばしている可能性があるということだ。例えば、「消失」以降の「分裂」や「驚愕」などの話は本当は佐々木の失恋の話だと思う。好きだったキョンと疎遠になって、寂しいと思っていた所にキョンと再会し、ハルヒなどの存在について知り嫉妬する佐々木。そこで、少し世界改変能力の持ち主でもあった佐々木が無自覚に周防九曜や藤原、橘京子などを引き寄せ、ハルヒからキョンを奪い返そうとする話と言えなくもない。結果、「やっぱり涼宮さんには敵わないや…」と佐々木がキョンを完全に諦めるという話だ。そして物語の語り部であるキョンは鈍感さと照れ隠しもあってか、佐々木のその恋心に(「親友」だとか何とか云って)全く気付いていない…。


涼宮ハルヒシリーズは、僕が今まで観てきた全ての創作作品の中でもナンバー1の作品となった。僕のバイブルだ。
その理由は…、ハルヒの言動は全て僕が子供の頃から思っていたことで、ハルヒの言葉はそのまま僕の言葉だからだ。今でもそう思っている。最初にハルヒを見た時、「よくぞ言ってくれた!」と思った。孫権が机の角を剣で切り落とし、赤壁の戦いの全権を周瑜に託した時みたいに、「これより、ハルヒの言葉は俺の言葉だ!」と言いきれるw!

具体的には、ハルヒが子供の頃、野球を観戦しに行った独白の内容とか、「普通がツマラナイ」という、「普通」を忌み嫌う感覚。
この作品は、殆どの人が自分自身をキョンに投影して観る物だと思うけれど、僕の場合はそこが違った。
僕は完全に自分=ハルヒだった。
こう言うとちょっと痛い人だと思われることも覚悟して書くが、僕の学生時代はちょうどハルヒの男版みたいなピーキーな人間・キャラだった。そして周りの人にいつも「普通はツマラナイ!」というようなことを言ってきた。自己分析するならば、そういう、ちょっとエキセントリックなところのある人だった。「何か面白い事やろうぜ!」という様に。そしてそれが今でも僕の行動原理になっている。なぜみんな普通に授業を受けて普通に就職して普通に結婚して普通に生きていくのか?そんなの絶対に嫌だ!と思って今日に至る我が人生である。そして、世の中には普通じゃない人生を生きている人だっている。それが自分じゃないのは何故なんだ!という憤り。そう、僕の場合はそれが自己愛性パーソナリティー障害の様な状態として具現化してしまっているのが良く無いところなのだが。もう少し具体的に言うと、要するに自分がマイケル・ジャクソンでない事が我ながら許せないのだ。なぜ俺はマイケル・ジャクソンではないのだ!という憤り。悔しさ、絶望、怒り。我ながら中二病を拗らせたような感覚だとは思うが、いずれにせよ、こんなマニアックな感覚を代弁してくれている作品は他に無い!と思ったが故に、この作品が僕の中でナンバー1なのだ。

:以下ネタバレと考察:

を、書こうと思ったが色々あり過ぎてまとまりそうにないのでやめておく。
それでも幾つか書いておくと、

鶴屋さんの山で見つかったオーパーツはおそらく現代でいう所のメモリーディスクみたいなもので、未来の品物。全ての時間軸・パラレルワールドの事象を記憶しておくことが出来る物なのだと思う。なぜそれが出てきたのかというと、朝比奈みくるの存在を忘れさせない為だと思う。なのでそのオーパーツを使ってキョンが未来人や朝比奈みくる(大)と戦うのだと思う。それがないと、朝比奈さんが未来に帰った時に、みんな「朝比奈みくる…?誰それ…?」という状態になるのだと思う。「SOS団は元々4人ですよ!」みたいな。んでその時に必要になってくるのが現在パソコンの中に入れてあるキョンの「朝比奈さん画像集(みくるフォルダ)」。これをそのオーパーツの中に入れておかなければならないのだろう…と。つまり次回作がもしあるのなら、それは「朝比奈みくるの消失」なのだ。

あと、これは他の人も多く検証していることでもあるが、元々、世界改変能力を持っていたのはキョンであり、おそらく3年前の七夕の時にキョンからハルヒに受け継がれたのだと思う。キョンもハルヒもそれを自覚していないが、SOS団の他のメンバーはそれを知っている。だから長門は時々、古泉は勿論、ハルヒの命令すら聞かない時があるが、キョンの命令は直ぐに聞く。それは、元々その世界改変能力の主はキョンだったからという部分もあるのではないだろうか?どうも長門の中の優先順位が、1位がキョンで2位がハルヒになっているように思う。


また思いついたら書こうと思う。

2020-3-26追記

この話は自己の中の葛藤を擬人化した内容であるとも言える。というかその様に置き換えても違和感が無い内容。
この世の中が自分の思った通りに行かない憤りを、逆に「なんでも思った通りになるという能力者」というモノに置き換え、且つ、長門や朝比奈さん、古泉などの心のサポート役がいて…、という葛藤の話…。
後に出るピクサーの「インサイド・ヘッド」みたいな話と言えなくもないのかも。
沢山いる仏教の神は、本当は自己の中にある全ての感情や能力の話…という風にも言われているが、例えるならそんな感じで、長門や朝比奈さん、古泉などは、それぞれ●●菩薩とか●●観音とかそういうこと。


やっぱり今になって冷静に見てみると減点箇所も幾つかある。
まず、エンドレスエイト事件は作品の演出としてやはり酷過ぎると思う。
せめて3回か4回くらいにしておけばよかったのにと思わざるを得ないが、これは「消失」を映画化したいがためにあえて本編を引き延ばしたのだと言われている。また、作者が新作を書かないという問題もあったが為だろうと思う。
それから、それにも関係する話だが、この作品は結局、作者が失踪したかのように未完で終わっていて続編が作られなくなっていること。何らかの大人の事情なのだろうが、やはり未完なのは良く無い。
仄聞した処によると、どうも角川の意向に反して、というか角川を無視して京アニがラノベのレーベルを独自に立ち上げたのが良く無かった…などと言われているが、「長門有希ちゃんの消失」は京アニではなくなっているしね…。おそらく京アニはこの涼宮関係に関わることが出来なくなったのだろうと推測される。

あと、神前さんや畑亜貴さんは凄いと思うが、幾つかの曲を除いて…、全体的に音楽が古い。
80年代のトレンディードラマみたいなダサいサントラである。

更に細かなことで言えば、「藤原」は例えば「浅田(アサダ)」などと名乗らせたほうが良かったのではないか?…と。これは僕のちょっとしたアイデアだけど…。
長門と周防で山口県…或いは戦艦の名前…という様なところがあるので、「藤原」というのもそういう何らかの意味があるのかもしれないけれど。

これらの点は減点対象となった。が、それでもやはり全体としてこの高得点である。